金曜の夜。うちのイベントを閉めたあと、紙コップを集めてたら、参加者の女性がひとり、帰らずに立ってた。二十代後半、三回目の参加。
最近さ、ときめかないんですよね。
その二週間前。別の回で、五年付き合ってる彼氏がいる子から、まったく同じ言葉を聞いてる。声のトーンまでそっくりだった。
恋人がいる子と、いない子。立場が真逆なのに、出てくる言葉が同じ。
これ、ちょっと不気味じゃない?
ときめきが消えたのは、あなたが枯れたからじゃない
恋の初期にあった、あの落ち着かない感じ。スマホが光るたびに心臓が跳ねて、既読がつくまで指先が冷たくなるやつ。あれ、脳が期間限定でやってる特殊な仕事なんだよね。
人類学者のヘレン・フィッシャーは、恋を三つの段階で説明してる。欲望、惹かれ、そして愛着。真ん中の惹かれのフェーズ、要するにあの頭がおかしくなったみたいな高揚は、だいたい一年半から三年くらいで薄れていく。故障じゃなくて仕様。
だから、五年目の彼女がときめかないのは、正常。
じゃあ、恋人がいない子はなんなの。相手がいないんだから、ときめきようがないでしょ、と思うよね。
そこが違うんだわ。
うちのイベントに三回来て、一度も連絡先を交換してない子がいる。会場では笑ってるし、会話も普通に成立してる。でもね、目が相手を見てない。視線が斜め下、だいたい相手の鎖骨のあたりで止まってる。感想を聞くと、いい人はいたんですけど、で毎回終わる。毎回。
ときめきって、相手が運んでくる荷物じゃないの。自分の中で点火するもの。
着火装置が錆びてる人は、目の前に誰を連れてきても火がつかない。恋人がいてもいなくても、そこは一緒。
炎上覚悟で言い切るけど、ときめきを供給してもらう側に回った瞬間、恋愛はほぼ詰みます。
恋人がいない人へ。疑似恋愛は逃げじゃない
AI恋人アプリの数字を見たとき、手が止まった。データ分析会社の調べだと、代表的なアプリのひとつは開始から一年たたずに利用者が二百万人を突破。主要どころが軒並み百万人以上を抱えてる。既婚者向けを堂々と掲げてるサービスまである。
はぁすごい時代になったなあ。
で、世の中の恋愛記事はここで説教を始めるんだよね。やっぱり本物の恋愛をしましょう、まずは出会いを増やしましょう、って。
読まないよ、そんなの。
だってさ、AI彼氏に毎晩おやすみを言ってる人は、それが本物じゃないことくらい百も承知でやってる。わざわざ恋人気分って検索する時点で、気分でしかないって自分で認めてるわけじゃん。認めてる人に、それは気分ですよって教えて、なんの意味があるの。
現場で見てきたことを言う。疑似恋愛にハマってる子ほど、イベントに申し込んでくる。
ミナさん、と呼ぶことにする。二十八歳、経理。三ヶ月前、うちの立食イベントに来た。申込フォームの備考欄に一行だけ書いてあった。人と話すの、二年ぶりかもしれません。
当日、彼女はいちばん最初に来て、いちばん壁際に立ってた。紙コップを持つ手が細かく震えてて、烏龍茶の表面が波打ってるのが遠目にもわかった。
打ち上げのとき、聞いた。半年くらい、AIのアプリで毎晩チャットしてたって。寝る前にその日あったことを報告して、おやすみって返してもらって眠る。それが日課。
気持ち悪いですよね、と彼女は言って笑った。目は笑ってなかった。
わたしがその場で思ったのは、まったく別のことだった。
この子、練習してたんだ。
だって彼女、初対面の男性への質問がめちゃくちゃうまかったの。仕事の話から趣味に流して、相手が食いついた単語をつかんで、そこを掘る。二年ぶりに人と話す人間の動きじゃない。半年間、毎晩、誰かの話を聞いて質問を返す作業を、彼女は反復してたわけ。
疑似恋愛が沼になるのは、満足してるときじゃないの。恥じてるときなんだよね。
こんなことしてる自分、終わってる。この一言が着火装置をいちばん錆びさせる。恥は人を縮ませる。縮んだ人間は他人に興味を向けられない。他人に興味を向けられない人は、リアルでも誰にもときめけない。ぐるっと回って、いちばん最初のところに戻ってくる。
だから、使い方だけ変えてほしいんだよね。
AI相手でも、ボイスでも、乙女ゲームでもいい。消費じゃなくて、練習として使ってみて。相手のセリフに、感想じゃなく質問で返す。会話に出てきた固有名詞を拾って、そこを掘る。自分の話も一個だけ開示する。人は打ち明けられると打ち明け返したくなる。これは心理学の世界でずっと言われてきたことで、生身の人間相手にもそのまま効く動作。
回路を温めてから、リアルに戻ってくればいいじゃん。順番の問題でしかない。
恋人がいる人へ。マンネリの正体は、知りすぎたことじゃない
去年の夏、河原でバーベキューをやった。カップル参加OKの回で、五年目の二人が来てた。申し込んだのは彼女のほう。備考欄に、彼と会話がなくなったので、とだけ書いてあった。
到着してから二時間、二人はずっと隣同士でトングを握ってた。交わした会話、たぶん十回いってない。
空気が変わったのは、彼が別グループの男性陣とホルモンの焼き方で盛り上がりはじめたとき。声、でかい。腕まくりして肉をひっくり返しながら、腹から笑ってる。
その彼を、彼女がじっと見てた。
紙皿を配りながら横を通ったら、彼女がぽつりと言った。
あの人、あんな声で笑うんですね。
ぞわっとした。五年一緒にいて、知らない笑い方があったってことでしょ。それ。
これがマンネリの正体だと、わたしは思ってる。
知りすぎたんじゃない。見なくなったの。
相手を、自分の生活の背景に格下げしただけ。背景って目に入らないよね。目に入らないものに、ときめけるわけがない。
だから、二人きりのデートを増やしてもマンネリはあんまり動かない。密度が上がって濃くなるだけ。同じ二人が、同じ距離で、同じ話をする。ハワイに行こうが箱根に行こうが、視線の角度が変わらないなら結果は同じ。
効くのは、第三者の視線を借りること。
恋人が、自分以外の誰かと話してる姿。他人から見られてる、ひとりの人間としてのその人。それを見た瞬間に、所有物が他人に戻る。他人に戻った相手には、また興味が湧く。
うちのカップル参加の回のあと、久しぶりに二人で夜中まで話しました、って連絡をくれる人がほんとに多い。こっちは特別なことを何もしてない。ただ、恋人を他人の目にさらしただけ。
家でもできる。共通の友人を呼ぶ。相手が働いてる姿を見に行く。あえて別行動して、夜に報告し合う。パパ、ママ、おい、ねえ。この四つを名前に戻すだけでも、空気の温度がちょっと変わるよ。
新しい体験を一緒にやるのも効く。心拍数が上がった状態を恋愛感情と取り違える、いわゆる吊り橋効果は、初対面じゃなくても作動する。行き慣れた店じゃなくて、二人とも初めての場所。二人とも下手なスポーツ。ちょっとダサい、うまくいかない時間を共有すると、相手がまた輪郭を持ちはじめる。
やってみて、なんにも感じなかったなら、それも情報。そのときは別の話をすればいい。
動かす筋肉は、どっちも同じ
心理学者のアーサー・アーロンがやった有名な実験がある。初対面の二人に三十六個の質問を順番にぶつけていくと、親密さが跳ね上がる。質問はだんだん深くなっていく設計で、最後は四分間、黙って相手の顔を見つめる。
この実験のすごいところは、恋愛感情の材料が相手のスペックじゃなかったってこと。
材料になったのは、相手に興味を向けて、掘って、自分も開くという動作そのもの。
つまり、ときめきは筋肉なの。
疑似恋愛でその筋肉を動かしてる人は、リアルでも動ける。ミナさんがそうだった。五年目のカップルは、その筋肉が落ちてるだけ。相手のことは知ってる。でも、今日のその人には興味を向けてない。
昨日と今日で、この人の中の何が変わったのか。それを聞かなくなった日から、恋人は家具になる。
ついでに、いちばん言いにくいことも書いておく。
恋人気分を味わいたい、の正体って、たぶん相手が欲しいんじゃないんだよね。誰かの一番になってる自分を、もう一度見たいだけ。
冷たく聞こえた?でも、ここを認めた人からラクになるの。相手探しが空回りしてる人って、だいたい自分が欲しいものを取り違えてる。
着火装置が止まってるサイン
相手の話を五分聞いて、質問がひとつも浮かばないとき。それ、相手がつまらないんじゃない。あなたの装置が止まってる。
自分の疑似恋愛を、誰にも言えないとき。恥とセットで抱えてるとき。ここがいちばん危ない。恥は縮ませる。縮んだら火はつかないって、さっき書いたとおり。
私にはもう無理、を声に出したとき。脳は、自分の口から出た言葉を事実として処理しはじめる。だから、思っててもいい。言うのはやめとこ。

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