恋愛のことしか考えられない自分に、うんざりしたことはないだろうか。
あるいは逆に、まったく恋愛に興味が湧かない自分を、どこかおかしいんじゃないかと思ったことは。
この二つ、正反対に見えて、根っこのところで同じ問題を抱えていることが多い。社会人イベントサークルを運営して出会いの場を作り続けてきたなかで、それをひしひしと感じてきた。
恋愛脳の人が「うざい」と言われる本当の理由
イベント会場でよく見る光景がある。
受付を済ませた瞬間から、目がきょろきょろしている女性。飲み物を取りに行くのも、トイレから戻るのも、全部が「彼を探すための移動」になっている。話しかけられた相手より、斜め後ろに立っている男性がずっと気になってる。見てるこっちが疲れてきた…
その子が後日、友人経由で聞かせてくれた話。
「イベント中ずっと、誰かに選ばれるかどうかだけ考えてた。帰り際に連絡先を交換できなかったら、その夜ずっと眠れなかったくらい」
これが恋愛脳の典型。でも彼女は決して「恋愛が好き」なわけじゃない。むしろ正確に言うなら、誰かに選ばれることで、その夜だけ自分を許せる状態になっていた。
恋愛に必死になる人の多くは、恋愛そのものに溺れているんじゃなくて、孤独に溺れないために恋愛を使っているんだよね。
心理学的に言えば、これは自己価値感の外部依存と呼ばれる状態。自分の存在価値を自分の内側で確認できないから、他者からの評価や選択という形で補おうとする。カウンセリングの現場でもよく出てくるパターンで、幼少期に親から条件付きで愛された経験がある人に多い。
「いい子にしてたら愛してもらえた」「成績が良かったときだけ褒めてもらえた」。そういう記憶が積み重なると、大人になっても無意識のうちに、誰かに選ばれることで自分の価値を測ろうとしてしまう。
恋愛脳の本質は恋愛への執着じゃなくて、孤独への恐怖だ。
「うざい」と言う側も、実は同じところを抱えている
友人の恋愛脳にうんざりしている人、あるいは自分自身の恋愛脳に辟易している人が、次に向かいやすいのが「もう恋愛したくない」という感覚。
恋愛したくない、と言う人の表面的な言葉はシンプルだ。「仕事が忙しい」「めんどくさい」「傷つきたくない」。でもイベント現場で見てきた感覚では、そこには大きく三つのパターンがある。
一つ目は、過去に深く傷ついて、回避モードに入っているケース。二つ目は、恋愛至上主義みたいな空気への拒絶反応として「したくない」が出てきているケース。三つ目が、本当にアロマンティックやアセクシャルに近い感覚を持っている人。
この三つはまったく別の話なのに、全部が「恋愛したくない」という同じ言葉でまとめられてしまうせいで、自分がどれなのか分からないまま時間が過ぎていく。
あるイベントで見た、忘れられない場面
その日のイベントには30代前半の女性が一人で来ていた。話し方は落ち着いていて、場の空気を読む力もある。でも2時間のイベント中、一度も自分から誰かに話しかけることはなかった。
終了後、スタッフとして片付けをしていたとき、彼女が声をかけてきた。
「私、なんで参加したんだろうって思って。恋愛、したくないんですよね。なのに申し込んでた」
胸がぎゅっとなった。
彼女が続けた言葉が、今でも頭に残っている。「したくないんじゃなくて、もうできないと思ってるのかも」。
その一言でわかった。彼女は恋愛を拒絶していたんじゃなくて、傷つくことへの恐怖が「したくない」に形を変えていただけだった。
3年前に別れた彼氏との話を少しだけ聞かせてもらった。ずっと彼を優先して、彼のペースに合わせ続けて、最後は「重い」と言われて終わったらしい。
重いって言われた、かぁ。
その経験のあと、無意識に自分の感情にフタをすることを覚えてしまった人は多い。好きになりそうになると、急に冷める。相手がこちらに興味を持ち始めると、怖くなって逃げる。これが回避型の愛着スタイル。
恋愛脳と恋愛したくない、がなぜ同じ根っこなのか
一見正反対に見えるこの二つ。でも芯のところで一致していることがある。
どちらも、自分一人でいることへの不安を、恋愛という文脈で処理しようとしている。
恋愛脳の人は、誰かと繋がり続けることで孤独を埋めようとする。恋愛したくない人の多くは、誰かと深く繋がることへの恐怖から先に逃げることで、傷つくリスクをゼロにしようとする。
どちらも、孤独と正面から向き合えていないんだよね。
愛着理論の研究では、人が他者との関係においてとるパターンは、幼少期の養育環境に強く影響されると言われている。不安型の愛着スタイルを持つ人は相手にしがみつきやすく、回避型は距離を置きたがる。そして面白いことに、不安型と回避型は恋愛においてお互いに引き合いやすい。
引き合うって言葉、ロマンチックだけど実際はかなりしんどい現象だよな。
不安型の人が「もっと近づきたい」と押してくると、回避型の人は「苦しい」と引く。引かれた不安型はさらに押してくる。このループが延々と続いて、最終的に不安型は「なんで伝わらないの」と疲弊し、回避型は「重い、やっぱり恋愛はめんどくさい」と結論づける。
どちらも悪くないのに、どちらも消耗していく。
恋愛脳を「直す」という発想を疑ってほしい
恋愛脳を直したい、と検索している人に正直に言う。
恋愛のことが頭を離れない状態を「直す」のは、出発点として少しズレている。恋愛脳は症状で、その症状が出ているのは何かが満たされていないからだ。
お腹が空いているのに「食欲を直したい」とは言わないじゃん。
だから恋愛脳を直そうとするより先に、自分の中の何が慢性的に足りていないのかを見つける方が、ずっと早い。
イベントで出会った20代後半の女性の話をしたい。彼女は毎月イベントに参加しているのに、誰とも付き合えないループから抜け出せないと悩んでいた。話を聞いていると、趣味も仕事の目標もあるのに、恋愛の予定が入っていない週末はなんとなく「負けた気がする」と言っていた。
その言葉、すごくリアルだと思った。
勝ち負けで語られる週末。その感覚の正体は、恋愛したいというより、自分が誰かに必要とされているという証拠を週ごとに更新し続けないと不安、という状態に近い。
彼女が変わり始めたのは、恋愛以外で「これをやりきった」という達成感を週に一度だけ意図的につくるようにしてから。ランニングでも料理でもなんでもよかった。自分が自分を評価できる経験を積み重ねていくと、恋愛への執着が少しずつ薄まっていった、と後から教えてくれた。
恋愛脳の解消に必要なのは、恋愛の代わりになる何かじゃない。自分で自分を満たす回路を育てること。
恋愛したくない人へ、一つだけ聞いてほしいこと
恋愛したくない、という感覚が続いているとき、それが本当に今の自分に合った選択なのか、それとも傷つかないための防御なのかは、自分でも案外わからない。
その二つを見分けるヒントが一つある。
誰かと深くなりそうになったとき、胸が締め付けられるような感覚があるかどうか。
設定ではなく、身体の反応として。心拍数が上がって、喉が少し渇いて、なぜか急に「この人は信用できるのか」を確認したくなる、みたいな感覚。
それが出てくるなら、恋愛したくないんじゃなくて、恋愛するのが怖いだけかもしれない。
怖いと知っておくだけで、少し変わる。直さなくていい。ただ、正確に自分のことを知っておくと、次の選択が変わってくる。
恋愛至上主義への違和感は正しい感覚
もう一つのパターン、社会的な圧力としての恋愛への反発。これは無視できない話だ。
特に女性は「いくつになっても彼氏いないの?」という言葉に、静かにすり減らされてきた経験がある人が多い。恋愛を選ばないことが、なぜか欠如として語られる文化。
これに対して「恋愛したくない」と言うのは、健全な自己防衛だと思っている。恋愛は義務じゃない。
ただ、注意したいのは、社会への反発として「恋愛したくない」を掲げ続けることが、自分の本音を確認する機会を奪ってしまうことがある点だ。
拒絶のポーズをとり続けると、本当は少し誰かと近づきたいという感覚が出てきたとき、それを認めることが「負け」みたいに感じられてしまうことがある。
恋愛しないことを選ぶのは自由だし、それが充実した人生に繋がることもある。ただ「選ばない」と「選べない」は、ちゃんと区別しておいた方がいい。
自分がどちらにいるかを、正直に見るのが出発点だ。
恋愛脳でうんざりしている人も、恋愛したくなくて不思議に思っている人も、どちらも別に壊れていない。
ただ、孤独との付き合い方を、まだ練習中なだけだよ。
それはみんなそうだから、恥ずかしいことでもなんでもないんだよね。

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